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人物探訪

小宮山光彦さん(谷櫻酒造4代目当主)

谷櫻酒造の創業は嘉永元年(江戸時代末期1848年)。 屋号は古銭屋(ふるぜにや)。  創業時に蔵の敷地から大量の古銭が掘り出されたことから屋号とされた。谷櫻の名は八ケ岳の谷あいに咲く桜にちなみ付けられ、豊かな自然のなかで時代が求める酒造りを続けてきている。 小宮山光彦さんは谷櫻酒造の4代目当主。

コックから酒蔵当主への転換



八ケ岳の南麓に広がる丘陵地にある谷櫻酒造と小宮山光彦さんとの出会いは1972年。 小宮山さんは東京の大学に進学したが、コックになりたいと大学を中退してホテルのレストランに就職。しかし体調を崩してレストランに職場を換えた。そのころ谷櫻酒造への養子縁組の話があってトントン拍子に決まった。
 コックから酒蔵の当主への転換には、小学3年のころから料理を作っていた小宮山さんは「料理も酒造りも口に入れるモノをつくることに違いはない」と言うのだ。また成人して酒好きになった。酒への造詣も深く、酒造りはなくならない商売だと思っていた。しかし現実は厳しく県内に38社あった同業者がどんどん減っていく。当時、谷櫻酒造の販売量は県下で下から2番目。さらに「婿が来てから酒がまずくなった」と陰口をいう人もいた。しかし、小宮山さんの頭から谷櫻の伝統を引き継がなければという責任感は離れなかったそうだ。その伝統は良いものを作れば、必ず評価されるというもの。
 小宮山さんが挑戦したのは生酒(なまざけ)の生産販売。自分が飲んで美味かったのがきっかけだそうだ。生酒というのは製造過程で行う加熱殺菌(火入れ)をしない清酒。生酒(きざけ)というのがあるが、これはまぜもののない純粋な酒、醇酒(じゅんしゅ)のこと。日本酒は玄米から精米…発酵、そして生酒(なまざけ)ができ火入れをして貯蔵・熟成されるのだそうだ。
 今では生酒はメジャーだが30年ほど前には、酒造りの中心である杜氏(とうじ)が反対した。生酒は火入れ前の「半製品」だと反対した。だが小宮山さんは「いいものを造れば売れる」と販売に踏み切った。結果は当初6000本の出荷量が今や20万本を超えるまでになった。

日本酒は食中酒のこだわり


生酒のつぎは純米酒、吟醸酒である。美味い日本酒の基本は米粒の外側にある脂肪やタンパク質を、磨いて磨いてしっかり取り除く。
その精米の現場を見たことがある。お米が3ミリほどの透明なビーズのようにきれいだった。
 この米粒を削る割合が精米歩合。谷櫻酒造が造る酒の精米歩合は全体で59%。ふだん食べているお米の歩合は約90%の白米である。本醸酒で70%以下、吟醸酒で60%以下、大吟醸は50%以下でなければいけないそうだ。この歩合が高いほど香りが高く、すっきりとした味わいとなる。酒好きにはこれが「うまい!」となる。
 小宮山さんには谷櫻酒造がめざすべき日本酒の姿があった。それは日本酒が食中酒だと言うのだ。つまり酒は引き立て役だからお酒だけを飲んでうまくてもだめ。日本酒は料理を美味しくしなければいけないと言うのだ。こだわりから生まれた純米大吟醸酒や大吟醸生酒は地酒ブームやグルメブームに火をつけた。
酒造りに欠かせないのが杜氏。この職人さんが減少している。酒蔵の当主はいい杜氏をかかえるのが仕事。当主と杜氏がうまくかみあってこそいい酒ができるのである。谷櫻では10月から東北の杜氏を中心に蔵人たちが春4月まで同居して酒造りをしている。お父さんの晩酌に欠かせないのが燗酒。今はその復活のための酒を開発中だそうだ。落ち着いた生活、心の豊かさにお酒の効果は大きい。



家内工業の色合いを濃く残す
造り酒屋限定物の手作業での
ラベル張り


文化交流の場として
提供しているホール

小宮山さんのチャレンジ精神は酒造りにとどまらない。新旧の住民が生活する地域のコミュニケーションを活発にするために村長を務めたこともある。また白壁造りの酒蔵の2階にはホールがあって、コンサートや陶芸家の作品発表展示会などが行われる。これは酒造りに限らず、手作りの文化に学ぶことが多いことを、多くの人に知ってほしいからだそうだ。酒もそうだが手作りのものをストレートに味わうというのは、作り手の意思やエネルギーを頂くこととも言える。
冬の酒蔵では、伝統的な酒造りに精を出す、蔵人たちの姿を見ることができる(要予約)。

 
参考資料 自分自信 経営者たちのチャレンジ物語(仲田エンタープライズ出版事業部)
2013/03/22(Fri) 17:04


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